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世界は、価値の鉱山だ。

政治嫌いのための、政治教養の必要性(概論編)

ビジネスはセクシーで、政治はアンセクシー。そんな風に考えていた時期が私にもありました。まあ政治がセクシーかどうかは置いておくにしても、「俺が極めたいのはビジネスだから」とノンポリを決め込むのって、けっこうアンセクシーだな、という問題意識を持っています。

ビジネスを極めることは、たとえばサッカーで黙々と自分の技術を磨くことに似ています。一選手として評価を高めることは、それだけでも十分に可能でしょう。ドリブラーならドリブル成功数、ストライカーならゴール数という数字を追求していけばいい。それで私の市場価値は高まり、経済的にも報われます。

ただし、チームの枠組みが「縦ポン」志向なのにそれを理解しようとせず、ただただドリブルの練習を重ねていたらどうなるでしょうか。いや、もしかしたらそれでも、「二流の縦ポン選手」よりは「一流のドリブラー」の方が使われるかもしれません。チームが勝とうと負けようと、私個人が圧倒的なドリブル成功数を積み重ね、「一流のドリブラー」として経済的成功や名声を得ることは可能でしょう。

それでいいのか、という問題です。
 

今でこそイデオロギーは安定し、政治思想といってもしょせんは中道右派vs中道左派、サッカーでいえばポゼッションかショートカウンターかくらいの違いしかありません。どっちにしろ足元が大事なのは違いないんだから、チーム方針は監督・コーチ陣に任せ、自分はただただ技術を磨けばいいだろう、というのも一つの考え方です。

しかしそう思っていたらBrexitが起こり、トランプが選ばれるのが今の世界でもあります。「まさかこれは無かろう」と思っていた枠組みが、ある日突然当てはめられる。どれだけ政治がアンセクシーであろうと、社会の枠組みを規定する大きな要素であることは否定しようのない事実です。そこに完全に目をつぶって突き進むのって怖いよね、というポイントが一つ。

もう一つのポイントは、ビジネスを「社会において成功を目指す手段」と捉えるか、「社会に対し成功をもたらす手段」と捉えるか、という問題です。もちろん両者は両立し得ますが、少なくとも後者は、政治的なアジェンダへの理解をおざなりに追求できるものではありません。

今や主流のシリコンバレー的な成功イメージは、ウォール・ストリート的なそれ以上に、人文系教養の必要性について多くを語りません。しかしそれを真に受けてしまうと、逆説的にThink Bigな発想が生まれづらくなってしまいます。

これはネット上の不毛な政治思想バトル(ごっこ)に参加しようという話ではありません。「朝生」の論客たちの議論(?)を、枝葉末節まで理解できる必要も無いでしょう。ビジネスのセクシーさに魅せられた人間から見たら、どちらもあまりにアンセクシーで、注意を払う頭のメモリがもったいないと感じてしまうのは仕方ありません。

それでも必要なのが、無知の知を受け止めた上で、イロハのイにあたる思想・論点を大枠で、しかし立体的に理解しておくことなのです。
 

中道右派中道左派

さて、大層な前書きをつらつらと書きましたが、例によって世界一雑に現在の政治思想をまとめていきたいと思います。

前段で書いたように、現代世界においてまともな支持を得ている政党は、基本的に「中道右派」から「中道左派」の範囲内に属していると理解して差し支えありません。より大きな枠組みで捉えれば、これらはどちらも「自由主義」という一つのイデオロギーの中での濃淡・振れ幅でしかないと言えます。

第二次世界大戦は、日独伊という「全体主義」との戦いでした(ということになっています)。これを収めてひと安心かと思いきや、戦勝国の間にも「共産主義」対「自由主義」というイデオロギーの対立があったため、これがそのまま冷戦へと繋がっていきます。

  • 全体主義=国家発展が第一!個人はそのために滅私奉公しましょう!
  • 共産主義=平等が第一!国家がそのために個人を管理します!
  • 自由主義=自由が第一!国家は個人に干渉すべきではありません!

結果的に第二次世界大戦、冷戦という二つの戦いを乗り越え、生き残ったのがご存じの通り自由主義ということです。
 

さて、そんな自由主義の枠には収まりつつも、それぞれ別路線となっている中道右派中道左派。語弊を承知で雑にまとめると、「中道右派=保守」と「中道左派=リベラル」の対立が先進各国の論点であると考えてほとんど間違いありません。

ややこしいのは「リベラル」「リベラリズム」という言葉です。元は上記の「自由主義」に対応するような言葉でしたが、今は実質的に「中道左派」を指す場合がほとんどとなっています。リベラリズムとは何か、はとても私のような俗物ビジネスマンがいちブログ記事で語って良い論点ではありませんが、最も理解しやすい訳語は「公正主義」ではないかと思います。間違っても現代の文脈で「自由主義」と訳すべきではありません。

共産主義のように結果の「平等」までは求めないものの、スタートラインは「公正」であるべきという理想があります。なので内政ではある程度の政府の介入はいとわず、社会的弱者やマイノリティのための福祉政策を重視します。外交では国連・国際社会の決定を尊重し、国際協調の実現を目指します。中道「左派」と呼ばれるだけあってちょっと理想主義的で、保守派からは「インテリの偽善だ」と言われます。これが現代におけるリベラリズムです。

そうはいっても自由主義の範疇の内なので、もっと左の共産主義が実在した時代には中道「右派」とも呼ばれていました。しかし今となっては、保守と比べれば相対的に「左派」ということになっているわけです。


一方の保守派は、現代では「ネオリベラル」と呼ばれています。自由主義の枠組み内にも上記のような大きな政府の考えが生まれてきたのを受けて、「いやいや、自由主義というからには小さな政府じゃなきゃダメでしょ」と、「リベラル」との間に線を引いたのです。

保守派の基本的な考え方は、「全体主義共産主義も、社会のあるべき理想像を追い求めた結果、失敗しましたよね。机上の空論で思考実験をするより、人類が積み上げてきた伝統に従ったほうが上手くいくんじゃないですか」というものです。きれいごとは言わず、内政では自己責任主義的な小さな政府を、外交では自国益の追求を推し進めていくことになります。このリアリスト的な態度に、リベラル派からは「冷血な既得権益者」のレッテルを貼られたりします。

なおネオリベラルと似た言葉に、リバタリアンリバタリアニズム)があります。ネオリベラルが「自己責任主義の方が上手くいくよね」という効用に着目しているのに対し、リバタリアンは「それがどんな結果を生むかは別として、人間社会は自己責任主義であるべきだ」という信条が出発点になっています。結局どちらも、自己責任主義を突き詰めるという似たような結論ではあります。


さあ、ここまで理解すれば、あなたが嫌いな「政治」は8割方掴めたようなものです(嘘です)。次回は主要各国の政党・リーダーについて各論を見ていきたいと思います。