aruku note

世界は、価値の鉱山だ。

南インドの楽園、ケララ州探訪記。あと、「観光」のイノベーションについての考察

12月は筆不精になってしまいましたが、公私でさまざまな国を旅して回る刺激の多い月になりました。中でもヒットだったのは、週末弾丸旅行で出かけたインド・ケララ州。

だったのですが、そんな小賢しいことを考えなくても、旅先としてケララ自体が十分に魅力的でした。日本人にはなじみの薄い場所ですが、「いわゆるインド」の有名都市とはまた違った味わいがあり、ヨーロッパ人の間では知る人ぞ知る楽園だとか。 

例えばこれ。


船で商品を仕入れ、船でお客さんが来るドリンクスタンド。

異世界のような森の中で干されている洗濯物。

バックウォーターと呼ばれる水辺に囲まれた、アレッピーという町の風景です。ボートに乗ってクルージングできるのですが、南国風情満点のヤシの林の中で、のどかに暮らす現地の方々の暮らしを間近に見ることができます。

(あまり人の日常生活にカメラを向けるのは行儀がよろしくないと思いつつ、非常に印象深い光景だったので……。)

もちろん経済的には先進国と比べるべくもない水準での生活ですが、だからといって悲壮感があるわけでも全くなく、豊かさって何だろう、などと妙に深い問いを考えさせられます。

 

あるいはこちら。

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14世紀に中国商人から伝来され、未だに現役の定置網漁法。1機あたりに5-6人の作業夫がついて1日200回ほどの上げ下ろしを行い、作業夫70:網のオーナー30の割合で収益配分がなされるのだとか。

網を買うのに必要なお金は「だいたいBMW1台分くらい(!)」だそうで、しかも一度買ったら放ったらかしというわけにもいかず、年に2回はメンテや修理が必要とのこと。

獲れている魚の量から見ても、とても割に合う事業とは思えません。。お家元の中国で既にこんなものにお目にかかることは無い事実が、全てを物語っているのではないでしょうか。見ている分には風情もあって、すごく面白いんですけどね。

 

こちらもまた凄かった。 

大英帝国時代から続く茶のプランテーション。山の斜面を一面茶畑にすると、こんなに美しい風景になるんですね。

近所にばっちり「ケララの茶の歴史博物館」もあって、いかにプランテーションが地域の発展に寄与したかというプロパガンダっぽいムービーなども観られるのですが、実態としてはこちらもまた明らかな衰退産業。

茶摘み労働者の賃金は1日あたり数ドル程度で、ノルマを超えた分はキロあたり数セントの出来高報酬……。この数字を淡々と説明するガイドさんに、私が支払った額はそのン十倍……。

 

他にも印象的な風景はまだまだ沢山あるのですが、ともあれ、これらの観光にはある共通点があります。

それは、観光の対象となっている「景観」を提供している人に、観光客である私からは1円もお金を落とせていないこと。

これは経済学的には外部経済というやつで、その「景観」の供給に貢献せず稼いでいる観光ガイドさんは「フリーライダー」であるということになります。

たとえば入場料を取っているような観光地であれば、観光客と供給者の間にはまぎれもない市場原理が働いています。あるいは観光の対象が古くから残る建造物などで、特に現在メンテナンス費用も掛かっていないのであれば、供給者は誰もいないことになります。

しかし、ケララで見て回ったようなケースは、明らかに人の営みそのものが観光の対象となっており、彼らがいなければ景観が成り立たないにもかかわらず、彼ら自身のふところに観光客からのお金は入っていません。

こうなると、いろいろと不合理なことが起こります。

 

たとえば前出の漁師や茶畑農家が生んでいる価値は、「魚の漁獲高」「茶の収穫高」だけではなく、それによって生まれている景観の価値、もっと言えば「観光収入」です。というか、下手したらそっちの方が大きい。

にもかかわらず、彼ら自身が受け取るのは「漁獲高」「収穫高」の対価のみ。経済発展の浸透につれて、周囲がもっと良い生産性・対価の仕事で溢れるようになれば、いずれ廃業となります。

でも、廃業によって失われる地域としての観光収入は、彼らの転職による生産性アップ幅よりもずっと大きいかもしれません。

これを「観光業者が収入を失う」と表現することもできますが、言い方を変えれば「観光客にとって価値ある景観が失われる」ことにもなるわけです。

 

他にも考えられる問題点としては、こういった景観の供給者に、「観光価値を維持・向上する」ためのインセンティブが存在しないこと。

別に彼ら自身は観光客に景観を提供するために日々の営みを送っているわけではありませんから、当たり前といえば当たり前です。

でも、もし観光客から供給者にお金が落ちるようなしくみができていたら、そこに市場原理・競争原理が働きます。観光客を引きつけるような工夫が自然と生み出され、観光地としての価値はますます向上するはずです。

上に挙げた例はそうではないので、アレッピーの人々は黙々と洗濯するだけで私に生活体験をさせてくれるわけではないですし、漁師はゴミだらけの海岸をきれいにせず、茶摘みの人たちはいちばん写真映えしそうな稜線に茶を植えてくれません。(まぁ、ありのままの姿だからこそ面白い部分は大きいのですが……)

 

このように、「市場原理を介さない価値のやりとり」は世の中の価値の総量を減らしている、逆に言えば、それを解決することは世の中にとってプラスである、ということに一応なっています。

パッと思いつくミクロな解決策としては、景観の供給者(洗濯のおばさん、漁師、茶摘みの人たち)から観光業者や観光客に直接アプローチし、取引を持ち掛けることでしょう。

究極的には、 「見たければ金を払え、さもなくば立ち入り禁止」と締め出すこと。もう少し現実的な考え方としては、「ウチにお金を払ってくれたら、単に立ち寄るだけではできない特別な体験もさせてあげるよ」というような方向性でしょうか。

さらに第三者的な視点から言えば、この発想をもとに、もっとマクロに効いてくる、プラットフォーム的な解決策も打ち出せそうな気がしています。

AirBnBがやったように、市場原理の外側にあったもの(たとえば空き部屋という資源)をマーケット化するしくみを提供すること。これが世の中に与えるインパクトの大きさは、ときに計り知れないものがあるのは今や周知のとおり。

うーん、我ながらおもしろい論点なんだけど、ビジネス化は成り立つでしょうか。もうちょっと考えてみます。