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aruku note

世界は、価値の鉱山だ。

過労自殺は、人事インセンティブで予防できる

長時間労働は是か非か(規制強化すべきか)という議論が盛り上がっているようですが、落ち着いて、問題のメカニズムの全体像を見てみましょう。

①仕事がつらい→②心身の不調→③自殺

①にあたるものとしては、例えば長時間労働、職場の人間関係、あるいは肉体的・精神的負担の大きい仕事内容そのもの、などといった要素が考えられるでしょう。

ことさら長時間労働にばかり目を奪われることのまず最初の問題点は、それ以外の要素を起点としても、①→②→③という流れは成立しうる、というところです。長時間労働は、可能性の一つでしかない。

労働時間は通常の範囲内だけれど、パワハラ・セクハラまがいの言動がまかり通り、仕事の肉体的・精神的負担をかえりみたフォローがなされない。こんな職場も、そして恐らくはこんな職場で過労自殺に追い込まれている人も、現実にはいくらでも存在します。

 

もう一つの問題は、「長時間労働」を実際にどのように感知するかという技術的・社会的なハードルです。

もっとも狭い意味での労働時間とは職場・オフィスで過ごしている時間ですが、まさかそこだけを記録・規制すれば解決すると素朴に考えている人はいないと思います(とうぜん、職場外残業・持ち帰り残業などの「見えない労働」に流れるだけです)。

では、例えば業務用PCのログオン・ログオフ時間を記録するか。あるいは、強制的に定時以降使えないようにするか。などなど、「見えない労働」の範囲を狭める努力はできそうですが、これらの様々なアイデアに対してもいくらでも抜け道は存在する(私用PCでの作業など)ことも、すぐに分かると思います。

念のため言っておきますが、これらの「抜け道」は従業員が自発的に探し、見つけ出します。上司が抜け道の利用を教唆・強制するという悪質なケースもあるでしょうが、それ以前に、「期日は変えない」「仕事内容も変えない」「でも残業はするな」と言われれば、当然そうする従業員が出てきます。「労働時間を規制するからには、仕事のやり方の変化も付いてくるべきだ」というのは文字通り「べき論」でしかなく、現実に起こるのはそういう事態ばかりです。

では究極系として、例えばウェアラブルバイスなり何なりで、強制的に24時間社員の行動を記録するか。こうなってくると今度は、プライバシーの問題になってきます。

長時間労働を「禁止」すれば長時間労働がなくなるという発想は、あまりにも「ルール」の力を素朴に信じすぎています。ルールとは、技術・社会的制約を乗り越えて初めて実効性を持つものなのです。

 

「ルール」ではないもう一つの社会的な力として、「市場原理」、あるいは「インセンティブ」の力があります。

d.hatena.ne.jp

インセンティブシステムの方が規制よりも「賢い」という価値判断(好き嫌い)はひとまず横に置いても、単純に前者の方が「有効で持続性がある」ということが、多くの場合に言えます。私などは少々極端で、「ルール・規制の99%は、ある歪みを引っ込めて別の歪みに作り変えているだけ(もちろん、市場の失敗は除く)」くらいに考えています。

この問題についても、インセンティブの切り口から考えてみましょう。

 

まず冒頭に書いたように、「①仕事がつらい」という事象は、多くの可能性がありすぎて抜け漏れなく捕捉することがとても難しいです。一方、どのような要因であれ生まれた「②心身の不調」を、年イチの健康診断よりもずっと頻繁に、かつ簡易に感知することは、2016年現在の技術で十分可能と言えると思います。それこそウェアラブルとか。

この感知結果を、①の発生要因にフィードバックさせるしくみが作れれば良いわけです。

例えば、従業員の人事評価要素に、「周囲の従業員の心身の健康状態」を入れる。

あなたの人事評価や給与の何割かが、あなたの部下の心身の健康状態で決まる、と言われたら、あなたはイヤでも部下たちの健康状態に配慮し、それを害する要因を排除するように動くでしょう。表面的に残業を禁止したりしても、健康状態が改善されなければ意味がないので、あなたの部下の健康が何によって害されているのかを本質的に掘り下げて探り、フォローするようになるはずです。

いろいろなツッコミは浮かぶと思います。例えば、もともと体の弱い部下を持ったり、部下が職場のストレスによらない偶発的な病気に掛かったら不利。公平性というのはインセンティブシステムの宿命的な弱みですが、これはもう、個別に例外規定を設けるとか、「なるべく不公平を減らすように頑張る」としか言いようがない。

でも、そういったデメリットを補って余りある、強烈な自律機能をもたらしてくれるのがインセンティブの力でもあります。端的に言うと、「それで不幸に失われる人の命が減るんだったら、ちょっとした人事評価の不公平とかマジどうでもよくないっすか?」ということです。

 

このしくみを理念の面からも正当化してみましょう。例えば、このしくみが行き過ぎたら(行き過ぎないように運用すれば良いだけですが、思考実験として)「業績目標をロクに達成せず、部下の機嫌取りばかりしている上司」が生まれそうです。

これって問題なのでしょうか。

実は、「会社とは究極、誰のためにあるのか」という問いには、誰もが納得させられる絶対的な答えは出されていません。欧州で最も一般的なのは「株主」という答えですが、私は「顧客」のつもりですし、「従業員」と答えている経営者も少なくありません。

つまりこれは、価値観の問題。中には「業績よりも部下の幸せのために働く上司」がいても、別にいいのです。

会社側も、「弊社は従業員健康指数で業界平均を20%上回っています」みたいな新しいアピールを、どんどんしていけばいい。

 

というか、イメージが湧きやすいように「上司と部下」の関係で説明しましたが、私はこの仕組みは、平社員から社長まで適用可能だと思っています。

「マネージャーでもないのに、自分の仕事に集中させてもらえず、周りの人間の心身まで気遣わなければいけないのか」。そんな考えはもはや驕りです。

仕事場を行き交う情報量は人間の処理能力をはるかに超え、今後さらに増加の一途をたどります。そんな中、「スーパーマンが圧倒的な結果を出す」イメージは過去の遺物であり、高度な仕事ほどチームワークで成り立っているのが現実なのです(正確に言えば、スーパーマンだけで結果を出せてしまうような仕事は淘汰されていく)。

だから、あなた一人の生産性を多少伸ばすことよりも、チームとしての生産活動を円滑に保つことの方が、インパクトは大きい。

 

ちょっと雑なロジックでしたが、上記をもうちょっと磨き込んで、必要な技術も引っ張ってくれば、十分に大企業の人事部相手に売り込めるビジネスになると思います。ましてや、「彼女」の事件が印象に残っている今は、誤解を恐れず言えばベストタイミングです。

ビジネスは、悲劇に勝てます。