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aruku note

世界は、価値の鉱山だ。

「シェアリングエコノミーとは」の次の問い

「シェアリングエコノミー」という名前が良くないのですが、とにかく、「シェアリングエコノミー」なるものが指す経済の変化は、その言葉のイメージよりもはるかに根本的で大きなものだということを前回の記事でお伝えしました。

こういうマーケットの潮流があるとき、当然考えうるひとつの対応は、流れに乗って「シェア的なビジネス」そのものを始めることです。

ただ、これだけのビッグウェーブだと、むしろもうひとつのやり方を考えてみたくなります。いわゆる「ゴールドラッシュでツルハシを売る」というやつです。

嘘か真か、ゴールドラッシュで一番儲けたのは金の採掘者ではなくツルハシ屋(盛り上がったビジネス自体への参加者ではなく、彼らへのツール・インフラの提供者)だった、という逸話は有名です。

では、シェアリングエコノミーにおける「ツルハシ」は何でしょうか?それはもうマーケットに飽和してしまっているでしょうか、それともまだまだ参入余地があるのでしょうか?

今回はここを考えてみたいと思います。

 

基本的には経済全体の合理性を高めてくれるシェアリングエコノミーですが、一点、20世紀型の経済システムに明らかに及ばない点があります。

それは、どれだけ簡単に取引相手の信頼性・クオリティを見極められるか。「与信」と言ってしまうと少々意味が狭くなるので、あえてこの言葉は使いません。

シェアリングエコノミーにおいては、個人や有志のコミュニティといった非・企業体も立派な「売り手・作り手」として存在感を増していきます。C2Cや、何ならC2Bのようなビジネスも生まれてくるわけです。

そうなると買い手にとっては、B2BやB2Cの場合よりも、売り手の信頼性を目利きすることがはるかに難しくなります。Amazonマーケットプレイス詐欺は、まさにこの問題を浮き彫りにしたのです。

詐欺問題は「信用」という、いわば「守り」の観点に関わる話ですが、同じことは「攻め」の観点、つまり「評判」や「ブランド」についても言えます。
これまでブランドといえば企業に属するのが当然でしたが、これからは非・企業体が売り手としてバリバリ参加していくので、彼らの間にも「ブランド」が生まれてしかるべきです。

メルカリにカリスマ出品者が現れるような状況……というとまだ少々イメージしづらいですが、ニコニコ界隈の「歌い手」「踊り手」などはもう既にこれに近いと言ってよいでしょう。

 

例えばこんなのはいかがでしょうか。

eBayやメルカリでの出品履歴から、AirbnbやCouchsurfingでの部屋の提供記録、あるいはTwitter・ブログ上での言論まで、ある人(またはグループ)の「売り手・作り手」としての活動を並べたダッシュボード。デザイナーの方々がポートフォリオ(作品集)のサイトを持っているのに近いイメージですね。

そして、そのダッシュボード全体に対して周りから評価が付けられるようにしてみます。
「メルカリのカリスマ出品者・鈴木さん」ではなく、eBayAirbnbで評判のカリスマ鈴木さんが、メルカリにも出品してる!これは掘り出し物があるかもしれない」という見方を可能にするのです。

現状、売り手の評価システムはeBayならeBayAirbnbならAirbnbの中で完結しており、「高評価アカウント」を作ることがまずひと苦労なわけですが、だからこそアカウントの売買なども横行してしまいます。

評判・ブランドの帰属先を「あるサービスのアカウント」ではなく「個人・団体そのもの」に変えることができれば、アカウント売買も多少はやりづらくなるはずです。
まぁ、これはあくまで「攻め」主体のアイデアであって、「守り」についてはたぶん今後はAIにお願いするのが順当な気がしますが……

 

少し違う視点から。

SNSで「何を消費しているか」を一生懸命発信しあっていることに、「これって空虚じゃないか」と疑問が投げかけられ始めてから、もうそれなりの時間が経っています。
それでも無邪気に「消費」を発信し続ける人と、そこから距離を置いてネット限定の別人格に徹する人に二極化しつつあるのが現状です。

でも……、「何を生み出しているか」の発信なら、SNSってけっこう楽しめそうだと思いませんか?

 

話を戻すと、「守り」にせよ「攻め」にせよ、売り手・作り手の信頼性やクオリティを見極める何かしらの手助けができれば、シェアリングエコノミーはもっともっと便利で楽しいものになるわけです。

逆に言えば、現状はそこが最大のボトルネックになっている。解決策を提供できれば、ニーズは莫大です。

上に書いたダッシュボードのサービスというのはあくまで1つの頭の体操ですが、他にもアイデアはいくらでも思いつきそうです。この分野こそが、シェアリングエコノミーにおける最強の「ツルハシ」であると私は信じて疑いません。

これが今回考えたことでした。

 

※上に書いたようなサービスづくりにご興味おありの方、あるいは作れる技術をお持ちの方、ぜひ@aruku000までご連絡ください。

シェアリングエコノミー、その本当のヤバさを理解していますか

シェアリングエコノミーが熱い。……ということはずいぶん前から言われており、もはや何となく常識となりつつあります。では、そもそもシェアリングエコノミーとは何でしょうか。

「なんかアレだよね、ネットが発達して人と人が繋がりやすくなったから、いろいろシェアしやすくなって便利で経済的だよね」

いざ説明しろと言われると、これくらいの漠然としたイメージという人が大半ではないでしょうか。これも間違ってはいないのですが、しかし、シェアリングエコノミーの可能性、その根底にある示唆の深さは、もっと深く、もっと広く、とてつもなく面白いのです。

3つの新潮流

一時期このテーマに関連する書籍を読みあさったのですが、その中でも頭ひとつ抜けたオススメはこの一冊(日本語訳は少々……ですが)。

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

  • 作者: レイチェル・ボッツマン,ルー・ロジャース,小林弘人,関美和
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 28人 クリック: 1,325回
  • この商品を含むブログ (99件) を見る
 

同書が指摘する、社会に生まれつつある大きな新潮流は以下の3つです。

1. プロダクト・サービス・システム(PSS)の隆盛

端的に言えば「所有から利用へ」。モノを「購入・所有」させずに、「利用」だけさせて対価を得るサービスをPSSと言います。古典的な例は図書館やコインランドリーですね。

最近の例では、タイムズのようなカーシェアリング。単に車を買うより安いというだけでなく、「今日はベンツ、明日はBMW」といったような楽しみ方も可能だし、自分が利用している時間以外の車の維持・管理は一切気にする必要がありません。

クルマに限らず、冷静に考えれば「利用」だけした方がはるかに合理的で、しかもインターネットの普及前からそのような取引が可能であったようなモノは、世の中にいくつも存在します。

にもかかわらず、なぜこのようなサービスが「今さら」注目を浴びているのか。考えるべきはむしろこのポイントでしょう。

答えは単純、今までが異常だったということです。大量消費社会で売上を伸ばそうとしのぎを削る企業たちが編み出した禁じ手、それは「購入・所有」への幻想を煽って煽って煽りまくること。この魔法が、今になってようやく解けつつあるのです。

人間の際限のない欲望を喚起するという目的のために、とことん科学的に研ぎ澄まされた広告理論。計画的に陳腐化し、新モデルへの需要を引き出すことが最初から組み込まれた商品設計。

企業が英知を結集して練り上げたこれらの「魔法」の前に、消費者個々人の脳ミソはあまりにも無力でした。

PSSの隆盛は、この魔法から目覚めた人たちが、世の中で徐々に増えていることを意味しています

「あなたの所有欲を刺激する……」みたいな広告のうたい文句、いまだに目にしますが、これほど時代遅れでセンスのないフレーズも無いということですね。だいたい対象はオッサン向けの商品。世の中で魔法が最後に解けるのはオッサンたちなのでしょう。

2. 中古市場の拡大(同書では「再分配市場」)

メルカリが好調ですが、他にも物々交換やフリーマーケットのようなサービスは海外でも近年勢いを増しています。PSSの主役の多くが企業(B2B/B2C)であるのに対し、こちらは個人どうし(C2C)のシェアが中心になります。

これについてはまさに冒頭に書いたように、インターネットの普及がモロに最大の立役者と言って問題ないでしょう。

実世界で中古のモノを買い取ってもらえる値段が低い最大の要因は、単純にマーケットの大きさの問題です。

古着屋なんかはまだ「古着」というマーケットが確立されているからマシですが、例えば「加湿器」を買おうと思った人は、ふつうリサイクルショップではなく家電屋に行きます。リサイクルショップに加湿器が置いてある可能性はあまり高くないからです。だからリサイクルショップの店主は不良在庫化のリスクを頭に入れ、加湿器を二束三文で買うしかありません。

これが全国津々浦々から出品されるメルカリのようなネット上のプラットフォームの場合、加湿器が欲しい人も「とりあえずメルカリ見てみようかな」と考える可能性は十分あるし、出品者側もそれなりに自信を持って正当な値付けができるわけです。

ネットだから高値で・早く売れるというよりも、実世界では物理的制約のせいでなかなか正常な機能を発揮しづらい中古市場という仕組みが、ネットのマッチング力によって本来の力を解き放たれつつある……と言ってよいでしょう。

3. 信用・価値の源泉の変化(同書では「コラボ的ライフスタイル」)

第3のポイントは、コミュニティこそが最強の価値の源泉となる時代になりつつあるということです。

ナイキというメガブランドでさえ、製品広告を打つことからコラボ的なコミュニティを築くことに、ブランドの軸足を移しつつある。
(『シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略』より)

消費者は徐々に「魔法」から解放され、広告を介さない消費者同士の中古商品のやり取りも勢いを増している。そんな中で、企業が発するどんな売り文句やクールな商品イメージも、口コミには敵わなくなっています。

だから今や、コミュニティを耕すことこそ最強のプロモーション。「ナイキの商品」ではなく、「ナイキファンというコミュニティ」に属すことに価値を感じてもらうべく最大の努力を尽くすのです。

これは商品の価値に限ったことではなく、例えば個人の信用についても同じこと。

お金の貸し借りというのは、元々はそもそもコミュニティ内での評判をもとに行われていました。借り手、貸し手、そして彼らの素行を知っている証人、この三者がいれば成り立ったのです。

それが取引の巨大化・遠隔化にともない、銀行という仕組みが生まれたことによって、一括管理しやすい「信用履歴」という単純なデータが重要視されるようになりました。これもまた、価値観としては大量生産・大量消費の「魔法の時代」に非常に近しいものがあります。

これにより一時は影を潜めたコミュニティ型取引のモデルでしたが、今また再び、マイクロファイナンスやファンドレイジングのような古くて新しい金融モデルが勢いを増しています。

単なる「カネを返したか・返してないか」ではなく、カネの出し手がカネの受け手それぞれの様々なバックグラウンドやビジョンを鑑みながら、投資・融資に値すると思ったらそれを実行することができる。自分の「バックグラウンドやビジョン」がきちんと信用に値するという証明は、SNSによって昔より遥かに示しやすくなりました(例えば実名でFacebookをやっていて、友達が数百人以上いて、投稿内容も不自然でなければ、まずその名前で詐欺めいたことをしているとは考えづらい)。

同時多発の化学反応

さて以上、シェアリングエコノミーの三本柱となっている変化、その潜在的インパクトの大きさについて解説してきました。

それを踏まえて結局何が言いたいかというと、シェアリングエコノミーというのは何かそういう新しいマーケットが生まれましたよ、みたいな個別レベルの話ではなく、そもそも経済の土台になっている価値観そのものの大転換である、ということです。

さまざまな変化が同時多発的に、お互い化学反応して強化し合いながら経済のあり方を塗り替えつつあるのです。使い古された言葉ですが、パラダイムシフトというやつですね。

ではこれを踏まえて、実際に私たちにはどんなチャンスが転がっているのか?という話は、また次の記事にまとめてみたいと思います。

南インドの楽園、ケララ州探訪記。あと、「観光」のイノベーションについての考察

12月は筆不精になってしまいましたが、公私でさまざまな国を旅して回る刺激の多い月になりました。中でもヒットだったのは、週末弾丸旅行で出かけたインド・ケララ州。

だったのですが、そんな小賢しいことを考えなくても、旅先としてケララ自体が十分に魅力的でした。日本人にはなじみの薄い場所ですが、「いわゆるインド」の有名都市とはまた違った味わいがあり、ヨーロッパ人の間では知る人ぞ知る楽園だとか。 

例えばこれ。


船で商品を仕入れ、船でお客さんが来るドリンクスタンド。

異世界のような森の中で干されている洗濯物。

バックウォーターと呼ばれる水辺に囲まれた、アレッピーという町の風景です。ボートに乗ってクルージングできるのですが、南国風情満点のヤシの林の中で、のどかに暮らす現地の方々の暮らしを間近に見ることができます。

(あまり人の日常生活にカメラを向けるのは行儀がよろしくないと思いつつ、非常に印象深い光景だったので……。)

もちろん経済的には先進国と比べるべくもない水準での生活ですが、だからといって悲壮感があるわけでも全くなく、豊かさって何だろう、などと妙に深い問いを考えさせられます。

 

あるいはこちら。

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14世紀に中国商人から伝来され、未だに現役の定置網漁法。1機あたりに5-6人の作業夫がついて1日200回ほどの上げ下ろしを行い、作業夫70:網のオーナー30の割合で収益配分がなされるのだとか。

網を買うのに必要なお金は「だいたいBMW1台分くらい(!)」だそうで、しかも一度買ったら放ったらかしというわけにもいかず、年に2回はメンテや修理が必要とのこと。

獲れている魚の量から見ても、とても割に合う事業とは思えません。。お家元の中国で既にこんなものにお目にかかることは無い事実が、全てを物語っているのではないでしょうか。見ている分には風情もあって、すごく面白いんですけどね。

 

こちらもまた凄かった。 

大英帝国時代から続く茶のプランテーション。山の斜面を一面茶畑にすると、こんなに美しい風景になるんですね。

近所にばっちり「ケララの茶の歴史博物館」もあって、いかにプランテーションが地域の発展に寄与したかというプロパガンダっぽいムービーなども観られるのですが、実態としてはこちらもまた明らかな衰退産業。

茶摘み労働者の賃金は1日あたり数ドル程度で、ノルマを超えた分はキロあたり数セントの出来高報酬……。この数字を淡々と説明するガイドさんに、私が支払った額はそのン十倍……。

 

他にも印象的な風景はまだまだ沢山あるのですが、ともあれ、これらの観光にはある共通点があります。

それは、観光の対象となっている「景観」を提供している人に、観光客である私からは1円もお金を落とせていないこと。

これは経済学的には外部経済というやつで、その「景観」の供給に貢献せず稼いでいる観光ガイドさんは「フリーライダー」であるということになります。

たとえば入場料を取っているような観光地であれば、観光客と供給者の間にはまぎれもない市場原理が働いています。あるいは観光の対象が古くから残る建造物などで、特に現在メンテナンス費用も掛かっていないのであれば、供給者は誰もいないことになります。

しかし、ケララで見て回ったようなケースは、明らかに人の営みそのものが観光の対象となっており、彼らがいなければ景観が成り立たないにもかかわらず、彼ら自身のふところに観光客からのお金は入っていません。

こうなると、いろいろと不合理なことが起こります。

 

たとえば前出の漁師や茶畑農家が生んでいる価値は、「魚の漁獲高」「茶の収穫高」だけではなく、それによって生まれている景観の価値、もっと言えば「観光収入」です。というか、下手したらそっちの方が大きい。

にもかかわらず、彼ら自身が受け取るのは「漁獲高」「収穫高」の対価のみ。経済発展の浸透につれて、周囲がもっと良い生産性・対価の仕事で溢れるようになれば、いずれ廃業となります。

でも、廃業によって失われる地域としての観光収入は、彼らの転職による生産性アップ幅よりもずっと大きいかもしれません。

これを「観光業者が収入を失う」と表現することもできますが、言い方を変えれば「観光客にとって価値ある景観が失われる」ことにもなるわけです。

 

他にも考えられる問題点としては、こういった景観の供給者に、「観光価値を維持・向上する」ためのインセンティブが存在しないこと。

別に彼ら自身は観光客に景観を提供するために日々の営みを送っているわけではありませんから、当たり前といえば当たり前です。

でも、もし観光客から供給者にお金が落ちるようなしくみができていたら、そこに市場原理・競争原理が働きます。観光客を引きつけるような工夫が自然と生み出され、観光地としての価値はますます向上するはずです。

上に挙げた例はそうではないので、アレッピーの人々は黙々と洗濯するだけで私に生活体験をさせてくれるわけではないですし、漁師はゴミだらけの海岸をきれいにせず、茶摘みの人たちはいちばん写真映えしそうな稜線に茶を植えてくれません。(まぁ、ありのままの姿だからこそ面白い部分は大きいのですが……)

 

このように、「市場原理を介さない価値のやりとり」は世の中の価値の総量を減らしている、逆に言えば、それを解決することは世の中にとってプラスである、ということに一応なっています。

パッと思いつくミクロな解決策としては、景観の供給者(洗濯のおばさん、漁師、茶摘みの人たち)から観光業者や観光客に直接アプローチし、取引を持ち掛けることでしょう。

究極的には、 「見たければ金を払え、さもなくば立ち入り禁止」と締め出すこと。もう少し現実的な考え方としては、「ウチにお金を払ってくれたら、単に立ち寄るだけではできない特別な体験もさせてあげるよ」というような方向性でしょうか。

さらに第三者的な視点から言えば、この発想をもとに、もっとマクロに効いてくる、プラットフォーム的な解決策も打ち出せそうな気がしています。

AirBnBがやったように、市場原理の外側にあったもの(たとえば空き部屋という資源)をマーケット化するしくみを提供すること。これが世の中に与えるインパクトの大きさは、ときに計り知れないものがあるのは今や周知のとおり。

うーん、我ながらおもしろい論点なんだけど、ビジネス化は成り立つでしょうか。もうちょっと考えてみます。

武井壮という男の凄さについて、ロジカルに語ります。

突然ですが、私の尊敬する人は武井壮さんです。

この尊敬する人リストには日本なら孫正義さん、海外ならペップ・グアルディオラ監督、歴史を遡れば内村鑑三などそうそうたる顔ぶれが並んでいるわけですが、そんな強者たちを抑えて私にとって堂々の第一位が武井壮さんなのです。

それだけすごい人であるにもかかわらず、まだまだその真髄が広く世の中に理解されていないような気がするので、今日は彼の何がそこまですごいのかについて言語化してみたいと思います。

 

武井壮 Ver.2("Need"への気づき)

武井さんは、30歳ごろにある転機を迎え、その学びから一つの人生哲学を導き出しています。

価値とは、人が求める数である

「チャンピオンになれるスポーツ」を求めて陸上十種競技を始め、わずか2年半で本当に日本チャンピオンとなってしまった武井さん。

にもかかわらず、世間一般から見れば何の注目も集まらず、経済的にも大したインパクトは無く、「チャンピオンとなった結果がこれか」と愕然とします。その根本的な理由を考えた末に、たどり着いた結論が「価値とは、人が求める数である」というものです。

十種競技というものを、わざわざお金を払ってまで観たいと思っている人がどれだけいるか。自分がいくら競技のパフォーマンスを高め、ついには日本の頂点にまで立っても人生の豊かさに繋がっていないのは、十種競技によって人を喜ばせたり、感動させたり、価値を与えられる数があまりにも少ないからだ。

そう思い至った彼は一転、「多くの人を喜ばせられる職業」として、芸能界入りを目指しはじめたのです。そのときの努力もまた半端ではありません。

芸能人の集まる西麻布や六本木のバーで、服にICレコーダーを忍ばせつつ、ロックグラスで牛乳を飲みながら犬用の骨みたいなガムをかじる。

そのICレコーダーから、芸人さんが笑いをとった会話の場面を編集してCDにし、何百回も繰り返して完全コピーできるようになるまで暗唱する。

「変な奴だな」と芸能人に声を掛けられれば、待ってましたとばかり「百獣の王になりたくて顎を鍛えてるんです」と返答し、人脈を築きながらみごとTVデビューの糸口を掴んでいます(初期の百獣の王キャラは演じていたと本人も認めています)。

そして「芸能人・武井壮」として金メダルを取ったマスターズ陸上は、現役時代よりもはるかに大きなニュースとなり、人々に夢を与えられた。 

こうした学びから武井さんは、ある分野が社会的な価値を生むかどうかも分からない・判断できない子どもを、特定のスポーツエリート育成の道へ送り出すことにも警鐘を鳴らしています。

そうではなく、「無駄にならない努力」の積み上げ方、そしてそれによって着実に夢を叶える背中を見せて、「お前もこうやって夢を叶えられるんだぜ」と示すのが大人の役割だろう、と。


【武井壮の「大人の育て方」がマジ凄い!】オトナの学校 完全版

ビジネス的に言えば、要はプロダクトアウト(商品=自分の能力をとにかく高め、そのうちいつか誰かに買ってもらえることを祈る)からマーケットイン(最初からマーケットに受けるような商品=自分を目指す)への発想の転換ということになりますが、それを自分の人生についてここまで徹底して実践できている人というのは聞いたことがありません。

別の表現をするなら、それまで自らの「Can(できること)」の範囲を広げることを突き詰めてきた武井さんが、「Need(求められていること)」の視点を手に入れたことで、一気に人生の可能性を開花させたということでもあります。

 

武井壮 Ver.1 ("Can"の追究)

とはいえ。上記はあくまでたかだか十数年の歴史しかないVer.2の武井壮であり、彼の「獣」としての圧倒的に突き抜けた本質は、その気づきに至る前からずっと根ざしている、いわばVer.1の武井壮にこそ見てとることができます。

それを表す彼の人生のテーマが、

毎日、自分史上最高 

自らの「Can(できること)」を広げることに徹底してこだわってきた彼は、人を成長させるメソッドの引き出しが半端ではありません。

特にその根幹を支えているのは、いわば「武井壮の性能を上げる」という考え方。

野球なら野球、ゴルフならゴルフ、というスポーツ固有のスキルを高めるのではなく、あくまで「武井壮」そのものの性能を高め、思い通りに体を動かせるようになることをとことん突き詰める。

この考え方こそが、競技歴2年半で十種競技日本チャンプとなったり、日本トップクラスの選手たちが集まるゴルフの選抜強化プログラムに素人の状態で乗り込んで選抜されたり、といった彼の驚異的な経歴を実現させているのです。

例えば、

  • 日々の生活の中で、例えばペットボトルの蓋を開けるような一動作すらも、常に自分のイメージと精密にすりあわせる。
  • 毎日室内外の気温や身体中の体温、その日の服装などを記録し、ベストコンディションの導き出し方を定式化する。
  • トレーニングは短い時間でも自分の「101%」を引き出すことにこだわってデザインする。90%でトレーニングしながら、本番で自己ベストを出そうなどと都合の良い考え方はしない。

などなど。

その領域に達した人たちだからこそ分かるのでしょう、武井さんのアスリートへのインタビュー本『勝つ人』では、むしろアスリートたちの方が武井さんをリスペクトしている様子が随所から伝わってきます。

勝つ人 13人のアスリートたち (Sports graphic Number books)
 

イヌイットの言語に「雪」を表す単語がたくさんあるように、武井さんとアスリートの間の会話では「成長」とか「勝つ」ことについて、表す日本語が足りないもどかしさを感じているかのような場面がしばしば出てきます。今シーズントップクラスのオススメ本です。

 

武井壮 Ver.0 ("Want"という原点)

「成長・勝利」に関してこれだけの境地に達しているマニアとして、他に私が連想するのは格闘ゲームウメハラさんです。 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

案の定というか、武井さんもウメハラさんとの対戦を目指して日々ストVのトレーニングをしているようで、 個人的にはこの対戦、日本トップクラスの「成長・勝利マニア」たちのドリームマッチとしてめちゃくちゃ注目しています。

ただ一つ違いがあるのは、ウメハラさんが「成長それすなわち生き甲斐」という変態的成長マニアであるのに対して、武井さんの場合はそこからもう一段階掘り下げたところに根源的なモチベーションがあるというところ。彼のもう一つの人生のテーマは、

少しでも多く、やりたいことをやって生きる

という非常に素朴なもの。素朴であるがゆえに、共感できる人も多いはずです。

ウメハラさんの思想の深さも相当驚異的ですが、個人的にはモチベーションのところで「成長それすなわち生き甲斐」とまでは思えない時も。そこに共感し続けられる人はある程度限られるのではないかと思っています。)

少しでも多くの「Want(やりたいこと)」を実現したいがゆえに、「Can(できること)」を広げ、さらには「Need(求められていること)」と重なる面積も増やしていく。

言葉にしてしまうとシンプルなロジックですが、それをここまで貪欲に人生を彩るべく実践している人を私は他に知りません。

彼は超多忙となった今でも、フィジカルのトレーニングに加えて必ず1日1時間新たな分野の訓練・勉強を積み重ね続けているそうです。それを彼は、「今の自分にない能力・知識を、毎日少しずつ自分にプレゼントしてあげる」という言い方で表します。なんというか、すごく背中を押される表現です。

なお、今の武井壮はまだ通過点で、彼は世界中の人に愛されるハリウッドスターを本気で目指しているそうです。当然英語も話せます。

彼の背中に勇気を与えられるような人が、少なくとも一人ここにいて、多分これからもっともっと増えていく。そんな人々のためにも、本当に世界のスターになって欲しいと思います。私も負けない(スターを目指している訳ではありませんが)。

Brexit後のロンドンに思う、「自転車」分野のポテンシャル

Brexitから数ヶ月経ちつつも、未だその影響を見極めかねている感のあるロンドンに行ってきました。

バーで絡んできたジョンさん(仮名)。ロンドン・シティの金融マンなんてだいたいEU残留に投票したんだろうと思っていたら、「これは経済の問題じゃない!クソドイツに従ったままでいるかどうかのプライドの問題なんだ!」と熱く語ってくれました。

ロンドンは言うまでもなく欧州最大最強の都市であり、それがBrexitのせいでみるみるパリやベルリンに取って代わられる、ということにはそうそうならないでしょう。

しかし、どう頭を働かせてみても、Brexitで経済的に「プラスの影響」が出る分野をほとんど思いつけないのもまた事実。EUネットワークの恩恵を得られない唯一の欧州主要都市となっていく中で、経済的な「デカさ」を前面に出して今後もずっと競争力を保っていけるかというと、それはあまり賢い選択とは言えなさそうです。

「デカさ」が危ういなら、目を向けるポイントは他にもたくさんあります。それは例えば、都市としての「質」や「先進性」です。

ご存じの方も多いと思いますが、今、先進的な街づくりを考える上で一つの大きなキーワードとなっているのが「自転車」。

実はロンドンも、Brexit直前の今年5月まで市長を務めていたボリス・ジョンソンという方が非常に自転車普及に熱心な人で、特に2012年のオリンピック前に、自転車オリエンテッドな街にするための大改造が行われました。

なぜ自転車が街の先進性につながるかというと、

  • 環境に優しい
  • 人の健康にも優しい(肥満問題が深刻なロンドンではなおさら)
  • 路面にも優しい(道路のメンテナンス費用が少なくて済む)
  • 渋滞を起こさない
  • 安い

……などなど、自動車の普及にともなって浮かび上がってきた様々な問題が、自転車だったら起こらないじゃん!ということにみんなが気付き始めたのです。

だから逆に、特に欧州で「先進的な都市」として名前が挙がるような都市は、そのほとんどが「自転車先進都市」であったりします。ストックホルムコペンハーゲンアムステルダムなど。

 

しかし、ロンドンが自転車都市となっているのは、実は目を見張るべき例外です。上記に挙げたような「自転車先進都市」は、そのどれもが人口100万人に届くか届かないかという中堅都市。そもそもの都市のつくりとして密度がさほど高くはなく、広々とした都市空間で自転車の活用もごく自然に進められるような土台があったのです。

それに対してロンドンのようなスケールの大都市は、世界中どこを見てもひっきりなしに車が往来し、渋滞に悩まされているのが常識です。そんな中で交通網に改造を加えてまで自転車導入を進めるというのは、行政の明確かつ強固な意思がなければできません。

CS3

1車線を丸々潰して造られた自転車専用レーン。そういうレーンがある所もあります、なんて騒ぎではなく、これが文字どおりロンドンじゅうに一気に張り巡らされました。

ロンドンが自転車都市として成功すれば、それはいわば東京やニューヨークなど、世界中の大都市に対して自転車活用の可能性を示すことにすらなるのです。

 

実際のところどうなのか。ロンドン在勤の同僚たちに聞いてみる限り、やはり現状、必ずしも肯定的な意見ばかりとは言えません。

何せただでさえ世界最悪の渋滞都市であるのに、その貴重な1車線を自転車のために潰しているのです。渋滞が悪化した、というのが否定的な意見の理由の大半を占めていました。

これを解消するためには、逆説的なようですが、とにかく自転車利用率をさらに高めていくしかありません。現在車を使っている人たちに自転車にシフトしてもらうことで、車の絶対数を減らすのです。

もう後には戻れず、前に進むしかないロンドン。では、自転車利用率を高める上で、ボトルネックは何なのでしょうか?

下の2枚の写真を見比べてみてください。どちらも今年、平日の通勤時間帯に撮影したもので、上がコペンハーゲン、下がロンドンの様子です。

……パッと見て分かる最大の違いは、服装です。

コペンハーゲン市民の通勤姿が、おそらく職場でもそのままなのであろう日常的な格好で小慣れて見えるのに対して、近年ロンドンで一気に増えた自転車通勤者たちは、その多くがガチのサイクルウェアに身を固めています。

もちろん、これを単純に「自転車社会の成熟度の差だ」と断言することはできません。例えばロンドンはシティのど真ん中で撮った写真なので、スーツで働かなければいけない人が多い(→どうせ着替えが必要なので、通勤はサイクルウェア)といった事情があることは想像できます。

しかしいずれにせよ、自転車通勤を検討するにあたって、「着替え」の存在って結構影響が大きいと思いませんか?いま自転車通勤をしている人は、「その面倒くささを乗り越えてまで」自転車通勤をしようと思えている人、だけなのです。このハードルを取り払うことができたら、自転車通勤者の数をかなりの割合で増やせるのではないかと思います。

この点に対して有効と思われる対策としては、たとえば以下のようなアプローチが考えられます。

1. 「サイクル対応」のオフィスウェア

既に市場にはポツポツと存在しますが、むしろいま自転車通勤をしていない層にこそもっと売り込めるはず。「着替えなくても自転車通勤はできるんです!」と。繊維大国ニッポンにとっても腕の見せ所ではないでしょうか。

マーケットとしての日本の夏は高温多湿すぎるので、さすがに着るものでどうにかなるレベルではないのが残念ですが……。

2. バイクステーションの増設

ランナーステーションの自転車版ですね。シャワー・着替えは必要なものという前提で、その代わり街じゅうどこでも手軽にできるようにする。さらに自転車メンテナンスやカフェのようなサービスもくっつけてみたり。こちらのアプローチであれば、日本でも通用します。

こちらも既に世の中に存在しないわけではありませんが、今一つ普及が進まないのはやはり数が少なく、ドアツードア性を損なってしまうというところでしょうか。

 

どちらのアプローチにせよ、自転車という乗り物のポテンシャルを解放するようなビジネスは、今後ロンドンに限らず世界中の都市で価値が大きいと思うのです。

自転車コミュニティビジネス: エコに楽しく地域を変える

自転車コミュニティビジネス: エコに楽しく地域を変える

 

 

ドバイが起業に最適である理由。現地VCに聞きました

私自身あまりTechTechした人間ではないのですが、ストックホルムでスタートアップに突撃した時のインタビューがすごく楽かったので、未だにニヤニヤしています。ビジネスセンスに刺激を受ける話というのは何でも面白いです。

aruku000.hatenablog.com

しかしこの「(自称)ブロガー」というのは便利な肩書きで、見ず知らずの相手にインタビューを申し込んでもわりかしOKを頂け、非常に面白い話が聞けてしまいます。

「ならドバイでも同じことやったれ」と思い、今回はドバイの有力VC、TURN8にお邪魔しました。

今回インタビューに応じてくださったのは、Portfolio ManagerのNour Halabiさん。アメリカ生まれ、ドバイ育ち、ハーバード卒のシリア人です。グローバルぅ。

(ご本人の写真撮り忘れたので、インタビューの場となった応接室だけ…)

そもそもアクセラレータという業種の定義については私自身もあいまいだったのですが、簡単に言えば「シリーズAよりも前、いわゆるシード段階の事業(あるいは事業アイデア)に、ごく少額の出資とインフラ・人脈などのサポートを提供し、数週間〜数ヶ月の間に本格的に投資家に声を掛けてもらえるレベルまで持っていく」ようなVCを指します。

なぜ、ドバイでVCなのか

バイにスタートアップのエコシステムなんて根付くのか?というのが最初の疑問だったのですが、まさにそれが、TURN8がアクセラレータという形で事業を展開している理由だそう。

「ドバイ自体を、スタートアップがぐんぐん育つ集積地にしていこうとは思っていません。シリコンバレーシンガポールと比べたら、ドバイはインフラ面もカルチャー面も何周も周回遅れですからね。しかし、この国は自前の産業基盤が乏しいかわりに、『世界中の最高級・最先端なモノのショーケース』というポジショニングで成功している。事業コストも低いし、シード段階のスタートアップが芽を出すまでの期間に限れば有数の環境だと思います」

この「ショーケース」という表現は、ドバイに住んだことのある人なら誰もが言い得て妙とうなずくはずです。良く言えば豪華絢爛、悪く言えばこけおどし。

バイと聞くとこーんな摩天楼だらけのイメージがあるかもしれませんが、

Dubai Marina

都市の最中心部でさえ、もうちょっと視野を広げるとこんな感じです。

都市最大のメインストリートの両脇には確かに高層ビルが並び立っているのですが、それだけ。上の写真はまだ海岸側を写しているので建物が見えますが、内陸側はガチの砂漠が延々と広がっています。

更に、ある意味「本当のドバイ」である旧市街地などは、UAEというよりももはやインドです。このあたりはまた別の記事で詳しく書こうと思いますが、今も昔も出稼ぎ労働者で成り立っている国なので、最大派閥はインド人、街の雰囲気もインドのそれで、物価水準も「キラキラエリア」からはだいぶ下がります。

つまり、

「確かに物価が高いエリアは高いけれども、そうでないエリアに土地はありあまっているし、安く暮らそうと思えばけっこう安く暮らせる。そして、何といっても税金がほぼタダ。そんなおいしい条件がそろっている場所って、世界中探してもそうそうありません」

ということなのです。 

アクセラレーションの、その先

ただし冒頭にもあった通り、スタートアップが芽を出した後、「育っていく」ステージにドバイは必ずしも適していません。

「少なくとも今現在は、アラブ人のお金持ちの間に、スタートアップに投資するという文化はないんです。中東の既存企業がスタートアップに関わりを持つ場面としては、単発の『発注』がせいぜい。そこから更にリスクを取って、『出資』まで踏み込むケースはほとんど目にしませんね」

だからTURN8は世界中に拠点を構えており、アクセラレーションに成功したスタートアップを、その中から最も適したエリアに送り込むことを一つのゴールとしています。

「たとえばシンガポールフィンテック、ヘルスケア、AR/VRといった分野が伸びているし、シリコンバレーではハードウェアやロボティクスといった分野で圧倒的にリードしています。こういった地域ごとの特性も念頭に置きながら、TURN8の各拠点で投資家とのネットワークを広げていて、アクセラレーション後のスタートアップを彼らに紹介できるようにしています」

そんなモデルを象徴するように、オフィスの中には専用の「ピッチ部屋」があります。ここでTURN8を「卒業」しようとするスタートアップが、世界各国の投資家に品定めしてもらうのです。

「我々はあくまでシードステージのお手伝いなので出資金額は$30K〜$80K程度ですが、ピッチ部屋だったり、無料のコワーキングスペースだったり、提供しているインフラは実ニーズに応えたものなのでガンガン活用されています。実は今年中にもキャパ拡大のためにオフィス移転予定なんです。文字通り『紙と鉛筆』(試作品も何もない、純粋なビジネスアイデア)の段階で来てもらって支援を決定したスタートアップもたくさんありますし、アクセラレーションに特化しているからこそ、シードステージ特有のニーズにしっかりフィットできていると自負しています。

そうそう、今回インタビューの話を聞いて乗り気になった理由のひとつは、TURN8はこれだけ世界展開しているのに、日本からのスタートアップだけはまだ一社も出てきたことがないんです!日本はレベルの高いプロダクトやサービスが溢れていて、VCとしても興味深く注視している国なので、一歩を踏み出してくれる起業家をお待ちしています!」

 

※もし実際にTURN8のアクセラレーションに興味を持たれ、紹介して欲しいという方がいらっしゃいましたら私のTwitter (@aruku000) へのDMでご連絡ください。

「農家のサポート」こそ、今ほんとうに熱いビジネスモデル

ビジネスの広がりには、垂直統合と水平分業という2つの典型的なかたちがあります。

たとえばユニクロのように、企画→調達→生産→流通→販売、といったような「川上から川下まで」の流れを、1社でできるだけ手広くカバーできるようにしようというのが垂直統合の戦略。

逆に昔のマイクロソフトのように、自社はOS開発に専念しつつ、PCの部品、筐体、あるいはアプリといった他分野は他社に任せ、各プロセスをそれぞれのスペシャリストが担うような形に持っていくのが水平分業です。

これらは本来どちらが良い悪いというものではありませんが、水平分業には、ハマりがちな落とし穴というものがあります。

それは、「専門化という逃げ」です。日本人の気性はもともと、ちょっとこれに陥りやすい傾向であるようにも思えます。

スペシャリストと言えば聞こえはいいですが、結局は自分が心地よい領域に安住してしまい、あとはまた別の「スペシャリスト」が上手くやってくれると考えて想像力を広げない。自分の領域に与えられた課題にだけ粛々と取り組んでしまう。

特に、モノ・サービス作りの向上に集中するあまり、マーケティングの視点を放棄してしまうのはビジネスとしてかなり致命的といえるでしょう。

「この商品の性能をあと10%改善するには?」のような、明確な答えが見つけやすい問題に比べて、「お客が本当に求めている価値とは何か?」「この商品の適正な値段はいくらか?」 のように、絶対的な答えのないマーケティング的思考は、日本人が不得手とするところでもあります。

そこで生まれやすいのが「愚直に良いモノやサービスを提供していれば、あとの結果は自然と付いてくる」みたいな考え(というか思考停止)。

これは決して真実とは言えないのですが、自社に代わってマーケティングという「ややこしいもの」を請け負ってくれる誰かが現れると、ついつい任せたくなってしまいます。

 

前置きが長くなってしまいましたが、この「専門化という逃げ」が日本でもっとも強力に働いてしまっている分野が、農業です。

農業は今、実はもっともポテンシャルの高い産業であると言われたり、あるいは問題の多い産業であるとも言われますが、さまざまな問題のもっとも根本にあるのが「専門化という逃げ」なのです。

もちろん例外は色々ありますが、農産物のもっとも基本的な流通ルートは、各生産地ごとに存在する農協による買い上げです。

農家と農協の間の価格交渉もあるにはありますが、一度ニンジンの価格が決まったら、Aさんが作ったニンジンも、Bさんが作ったニンジンもひとくくりに同じ価格が適用されます。

もちろんAさんもBさんも、ニンジンの生産量が増えるような工夫は色々とこらすでしょう。でもそれ以外のポイント、たとえば味や安全性、栽培方法のこだわりなどで、差別化を試みるインセンティブはきわめて小さいと言えます。

マーケティングの4Pでいえば、この場合に農家が自分で考えているのはProduct(商品)、つまり作物の種類だけ。あとはPrice(値付け)も、Place(販路)も、Promotion(販促)も、農協に持ち込んだあとはどうなっているか知りません、ということになります。

 

こういった従来的な農業から脱しようという取り組みの一つに、よく「6次産業化」と呼ばれるものがあります。

第1次産業(農林水産業)だけでなく、そこに食品加工という第2次産業や流通・販売という第3次産業も足し合わせる、1+2+3=6次産業だ、というわけです。

「農業起業」の本って実はけっこう多くてどれも面白いのですが、彼らの成功パターンはほぼ100%これです。

しかし、よくよく考えればこれがわざわざ造語を用いて新しい概念のように言われること自体、少しおかしいのです。流通や販売を自分でこなす垂直統合は、工業のような第2次産業であればごく普通のことであり、じゃあそれは2+3で5次産業なのか?という話になります。

もちろん農業の垂直統合が難しいのには、それなりの理由があります。自然を相手にする農業は、ある意味で工業以上に複雑で高度なサイエンスの営みです。その生産をきちんと維持・管理するだけでもかなり大変なことで、各農家が自己負担でやっていくのは相当難しいものがあります。

だからこそ農協という組織が生まれたわけですし、農家が加工や流通・販売まで手を出そうという気が起こりづらいのは、ある意味当然でもあります。

 

たとえばこの会社、相当おもしろい事業をやっています。まさにユニクロのモデルを参考に、農産物の生産から販売までを統合することをビジネスの軸としているのです。

agrigate.co.jp

社長さんのインタビュー記事も興味深いのですが、そこでこのビジネスモデルの難しさとして説明されているのが、「短期間での急成長・急拡大は見込めない」ということ。

ascii.jp

それはなぜか。もっとも直接的な理由は、自然を相手にする農業のPDCAのスピードの限界でしょう。消費者のニーズをつかんで「こんな農産物が売れる!」と言ったって、工業製品のように製造ラインの設定をいじってすぐに対応する商品を出せるわけではありません。

農業に取り組もうと思ったら、まさに「長期戦の覚悟」で、どっしりと腰を据えて身を置く必要があるのです。

 

さて、「従来の農業」に問題があるなら、「農業起業」の方々や旬八青果店さんのように、「新しい農業」をつくることは当然ひとつの答えです。でも、そこには相当の覚悟が求められる。

そこでもうひとつの考え方は、「農業を新しくする」お手伝いではないでしょうか。自分で農業生産にまで参入しなくても、農家の方々がマーケティングに取り組むハードルを下げたり、サポートを提供することには、かなりのニーズがあるはずです。

販路開拓やブランドデザイン、プロモーションなどといったサービスは第2次・第3次産業ではごく当たり前に存在していますが、こと農業においてはまだまだブルーオーシャンと言ってよいでしょう。

 

特に大事な論点は「地産地消」分野のマーケティングです。

まず農産物というもの自体、贈答品のような限られた機会をのぞいては、あくまで嗜好品というよりも必需品の色合いが強い。わざわざネット通販まで使って選り好みするよりも、近所で買うことの方が圧倒的に多いということです。

そして農家の側としても、例えば千疋屋に卸す高級フルーツを作っているようなところでも、農業である以上そのような「高級グレード」からは外れる果物がどうしてもいくらかの割合で生まれてきます。

だから、全国各地から自慢の逸品が集まる「メジャーリーグ」のようなマーケットももちろんあって良いけれど、それ以上に、各地それぞれの「草野球」のようなマーケットを活性化することが大事なのです。

 

近所の家庭の日常の需要に応えつつも、「だからどうせ何をどう売っても同じだろう」ではなく、そんな中にこそちょっとした差別化のチャンスを見出し、考えながら農家といっしょに戦っていく。

どう考えても簡単ではありませんが、やれたら絶対面白いビジネスです。しばらくアイデアを練ってみたいと思います。